『遠野物語拾遺』第138段〜第141段を読む|鮭は“異界から来る存在”だったのか

こんにちは
シャケナベイベーナウ管理人です。

皆さんは、遠野物語を知っていますかね?

遠野物語』は、1910年(明治43年)に民俗学者・柳田國男が発表した説話集で、岩手県遠野地方に伝わる河童や天狗などの妖怪、神隠し、怪異といった不思議な伝承や人々の暮らしを、地元の語り部である佐々木喜善から聞き書きし、日本の民俗学の出発点となった名著です。この『遠野物語』に収録しきれなかった遠野地方(岩手県)の民間伝承や怪異譚などを集めて、1935年(昭和10年)に発表した説話集が、『遠野物語拾遺(とおのものがたりしゅうい)』なのです。

この『遠野物語拾遺』にも、鮭が登場しており、そんなネタを少し書こうかと。

『遠野物語拾遺』の第138段から第141段は、遠野で最も古く権威ある名家「宮(みや)家」に伝わる、鮭にまつわる一連の神聖な一族伝説(ルーツ)であり、その宮家の先祖が「なぜ鮭を神様として崇め、絶対に食べないのか」という一族の秘密を明かす物語です。『遠野物語』に初めて触れる方に向けて、この4つのエピソードが持つ流れと、その面白さを分かりやすく解説します。

各話のあらすじと見どころ

第138段:鮭の背に乗ってやってきた始祖

遠野の町に宮という家がある。土地で最も古い家だと伝えられている。この家の元祖は今の気仙口を越えて、鮭に乗って入って来たそうだが、その当時はまだ遠野郷は一円に広い湖水であったという。その鮭に乗って来た人は、今の物見山の岡続き、鶯崎という山端に住んでいたと聴いている。その頃はこの鶯崎に二戸愛宕山に一戸、その他若干の穴居の人がいだかりあったともいっている。

この宮氏の元祖という人はある日山に猟に行ったところが、鹿の毛皮を著ているのを見て、大鷲がその襟首をつかんで、攫って空高く飛び揚がり、るか南の国のとある川岸の大木の枝に羽を休めた。そのすきに短刀をもって鷲を刺し殺し、鷲もろ共に岩の上に落ちたが、そこは絶壁であってどうすることも出来ないので、下著の級布を脱いで細く引裂き、これに鷲の羽を綯い合せて一筋の綱を作り、それに伝わって水際まで下りて行った。ところが流れが激しくて何としても渡ることが出来ずにいると、折りよく一群の鮭が上って来たので、その鮭の背に乗って川を渡り、ようやく家に帰ることが出来たと伝えられる。

大昔、遠野盆地がまだ一面の巨大な「湖」だった頃のお話。
宮家の先祖(始祖)が、沿岸の気仙(けせん)地方から大きな鮭の背中に乗って遠野へとやってきました。そして、当時まだ湖に突き出た岬のようだった「鷲崎(わしざき)」という場所に住み着き、遠野の土地を切り開きました。

遠野という「妖怪たちのユートピア」が誕生する最初の第一歩に、鮭が乗り物として大活躍している、ダイナミックな建国神話(村建て伝説)になっています。

ここで重要なのは、「鮭が人を運ぶ存在」として語られていること。

遠野は内陸ですが、鮭は海から川を登って、山間部までやってきます。
つまり、昔の人々にとって鮭は、「海の世界を運んでくる魚」だったんです。

第139段:命を救ってくれた鮭への誓い

宮の家が鶯崎に住んでいた頃、愛宕山には今の倉掘家の先祖が住んでいた。
ある日倉堀の方の者が御器洗場に出ていると、鮭の皮が流れて来た。これは鶯崎に何か変事がるに相違ないと言って、さっそく船を仕立てて出かけてその危難を救った。そんな事からこの宮家では、後々永く鮭の皮は決して食わなかった。

上流の鶯崎(宮家)の危機を流れてきた鮭の皮から察した倉堀家が、いち早く駆けつけ救い出したという恩にまつわるお話です。
ご先祖さまとともに、命を救われたことで、宮家は改めて「鮭は我が一族の命の恩人であり、守り神だ」と確信するとともに、「絶対に鮭を食べてはいけない(禁忌)」という強い鉄の掟となりました。

第140段:神隠しと化身

遠野の裏町に、こうあん様という医者があって、美しい一人の娘を持っていた。その娘はある日の夕方、家の軒に出て表通りを眺めていたが、そのまま神隠しになってついに行方が知れなかった。

それから数年後のことである。この家の勝手の流し前から、一尾の鮭が跳ね込んだことがあった。家ではこの魚を神隠しの娘の化身であろうといって、それ以来一切鮭は食わぬことにしている。今から七十年前の出来事であった。

このこうあん様の一族は、先述した「鮭を食べてはいけない」という強い掟を持つ家系(嘗という一族、または宮家の一統)でした。
娘がいなくなってから数年が経った、ある日のこと、こうあん様の家の勝手の流し前(台所の流し元)に、外から一匹の大きな鮭が、勢いよく跳ね込んで(飛び込んで)きました。驚いた家族がその鮭を捕らえようとすると、鮭は苦しそうに暴れたのち、そのまま台所で死んでしまいました。こうあん様は、このあまりにも奇妙な出来事を見つめるうちにハッと気づきます。「この鮭は、数年前に神隠しに遭った我が娘が姿を変えて、どうしても家に帰りたくて戻ってきた化身に違いない」と確信したのです。

悲しみに暮れたこうあん様の一家は、その鮭を娘の亡骸として葬り、そして、これまでは「先祖の古い迷信(掟)」として、どこか軽んじてうっかり食べてしまっていた鮭を、「これからは絶対に、一族一同、生涯にわたって鮭の肉を口にしない」と固く誓い、より厳格にその禁忌(タブー)を守るようになったとされています。

第141段:信仰の薄れと、現代へ続く掟

宮家には開けぬ箱というものがあった。開けると眼が潰れるという先祖以来の厳しい戒めがあったが、今の代の主人はおれは眼がつぶれてもよいからと言って、三重になっている箱を段々に開いて見た。そうすると中にはただ市松紋様のようなかたのある布片が、一枚入っていただけであったそうな。

代々伝わる「開けてはならない」と言い伝えられてきた宮家の箱にまつわる物語です。
箱を開けると、中にはかつての一族の危機を救った神聖な鮭の皮とも言われる、不思議な模様(市松紋様のような)のついた布が入っていました。この物語は、近代化の中で古い信仰が薄れていく様子を描くと同時に、これまで続いてきた鮭伝説の締めくくりとなるエピソードです。この箱は、かつての領主である阿曽沼氏にまつわる呪物としての歴史的な側面も、一部の研究者から指摘されています。

この4つの話がつなぐメッセージ

『遠野物語拾遺』の第138段から第141段は、宮家(こうあん様)に伝わる、巨大な鮭の背に乗った始祖の来訪から秘宝の鮭の皮に至る一連の物語です。第139話の絶体絶命の危機を救われたエピソードを機に、鮭を食べないという厳しい禁忌が生まれ、第140話で娘の化身が鮭となって戻るという悲しい物語を経て、第141話で残されたその皮の箱が語られます。

一族を導き、守り、そしてその姿を変えて帰ってきた、鮭をめぐる信仰の物語であり、第138話の物語の始まりから第141話の箱の開箱まで、非常にドラマチックな展開となっています。この連作は、古代の鮭信仰が近代化の中で薄れていく悲哀を描くとともに、一族のアイデンティティに関わる重要な伝説として、4つの話で一連の壮大な物語を構成しています。

初めて『遠野物語』を読む際、この第138段〜第141段に注目すると、遠野の人々が「自然の恵み(鮭)を神として敬い、その約束を破ると手痛いしっぺ返しを食らう」という、自然への強い畏怖の念を持って生きていたことがよく分かります。

ちなみに、岩手県遠野市の『遠野物語』に記された伝承や特定の氏子・家系において「鮭を食べてはいけない」というタブー(禁忌)は現在も残っているそうで、宮家当主の娘が幼少時、寿司屋を営む友達の家へ遊びに行き、イクラの寿司を御馳走になって食べたところ、目が見えなくなったそうで、その出来事からも、更に強く鮭を食べないよう誓ったそうです。

最後に

管理人も、久しぶりに遠野物語を読みましたが、改めて面白い本でした。
今回は、鮭にまつわる話だけを取り出したので、このブログでは取り上げていませんが、妖怪や怪異が「遠野では日常の一部」として、淡々とリアルに語られる点がとても面白く、座敷童子や河童が人間と当たり前に共存し、背筋が凍るような神隠しも、ありのままの事実として記録されている不思議な世界観が味わえました。

なお、遠野物語に興味を持った方は、青空文庫で読むこともできます。
柳田國男の『遠野物語』は、著作者の死後70年以上が経過しているため著作権はすでに消滅しており、パブリックドメイン(著作権フリー)となっています。誰でも自由に全文の引用、翻案、二次創作、電子書籍化などが可能です。(なので、青空文庫に掲載されています。遠野物語拾遺は、現在作成中でまだ読むことはできないようです)
柳田國男「遠野物語」(青空文庫)

また、京極夏彦の現代語で作り直した遠野物語拾遺retold (角川文庫)も読みやすくて面白いですよ。

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